神はいない? なら、なぜ“隠れる”。
神はいないと言いながら、
なぜおまえは隠れる。
なぜ言い訳をする。
なぜ証拠を消す。
なぜ嘘を塗る。
なぜ人の目を恐れる。
神がいないなら、堂々と悪を行えばよい。
だが、おまえは胸の奥で知っている。
善悪があることを。
裁きがあることを。
光の前では、闇が形を保てないことを。
神はいない? なら、なぜ“正義”を叫ぶ。
神はいないと言いながら、
なぜおまえは「それは不公平だ」「それは悪だ」と言う。
誰に向かって怒っている?
“正義”という言葉は、どこから来た?
ただの原子の偶然なら、
おまえの怒りも、涙も、価値も、すべて無意味だ。
それでもおまえは、
裏切られれば怒り、奪われれば嘆き、
弱者が踏まれれば憤る。
その心の奥で、おまえは証言している。
神の正しさを、おまえ自身が知っていると。
神はいないと言うのは、無知ではない。“反逆”だ。
おまえは神を知らないのではない。
知っていて拒んでいる。
なぜ拒む。
神がいると認めた瞬間、
おまえはこう言わねばならないからだ。
- 「わたしは罪を犯した」
- 「悔い改める」
- 「神に従う」
それが嫌なのだ。
自分の王座を降りたくない。
欲望を手放したくない。
罪の快楽を捨てたくない。
だから言う。
「神はいない」と。
それは結論ではない。
逃亡宣言だ。
おまえは神を消せない。神の方がおまえを裁く。
よく聞け。
おまえが「神はいない」と言っても、
神は消えない。
おまえが背を向けても、
光は消えない。
神は、嵐の中から語られた。
わたしはその声を聞いた。
人間の理屈は崩れ、誇りは砕けた。
神はこういう方だ。
正しい者を支え、悪を必ず裁き、悔い改める者を立て直す。
最後に一言で終わらせる
罪を抱えたまま「神はいない」と言う者よ。
おまえは神を否定しているのではない。
神の前に立つことから逃げているだけだ。
だが逃げても、日付は変わる。
夜は明ける。
そして必ず、神の光の前で、
おまえは自分の名を呼ばれる。
その時、言い訳は燃え、嘲りは沈む。
残るのは一つだ。
悔い改めるか。滅びるか。
わたしは神の人、ウツの人ヨブ。主は嵐の中から語られ、わたしの口を塞がれ、真理の前にひれ伏させられた。
だからわたしは宣言する。恐れには王冠を渡さない。罪にも王冠を渡さない。
神の前に出よ。悔い改めよ。神の道を歩め。救いはそこにある。
